この街は無数に細い運河が巡っている
移動には車などより舟を使った方が良いですよ、と言う助手のアドバイスに従って、僕は街の入り口でタクシーではなく、渡し舟を拾った
渡し舟は舳先に僕、後ろに助手が座り、その後ろに少々の荷物を置いて、船尾に船頭が立つと一杯になるほどの小舟だった
しかしその小舟の船頭は、男を二人も乗せて、しかもただ一本の櫂でうまく操舵出来るのだろうか?と心配になるような細身の少女だった
だが目的地を言うと彼女は「北下川2街区遊雲楼ネ。マカセテ!」と何でもなさげに元気に返事をした
そして彼女がぐいっと櫂を動かすと、舟は川を滑るように動き出した。
小舟は時折右に左に進路を変えながら、すいすいと網目のような運河を迷いなく進んでいく。「mapも見ずによくわかるなぁ」と呟いたら、助手が「なに、時折橋の下を通るでしょう?そこに船頭達独自の文字で、ここの街区名や番地やらが書いてあるんですよ」と言った
「なるほど」と僕はうなずいて、あらためて少女の能力に感心した
細い運河の両側には、木造の古い家々が軒をつらねていて、欄干のあるテラスが川に向かって突き出ている。そこには椅子や机が並べられ、お客を待っていた
珍しい水の街の様子に見とれていると、ふいに背後で少し甲高い、しかし玉を転がすような歌声が聞こえてきた
彼女だった
言葉は聞き取れない。でもこの街にしっくりと似合っていた。
歌とともに、ゆっくりと日が沈んでいく、涼やかな風が吹いてきて暗く陰った川面を揺らした
静かな櫂の軋む音に耳を傾けていると、周囲の建物の窓辺にぽつんぽつんと明かりが灯りだした
もうそんな時間になったのかと顔をあげたとたん、ふわっと街中に光が広がった。軒先や欄干など様々なところに吊るされていた提灯に一斉に火が灯ったのだった
落ち着いた静かな街が、にわかに目を覚まし、色鮮やかな光の衣を纏って目の前に降りてきた。そんな様子に僕はしばらく声も出なかった
ゆらゆらと川面に映る無数の赤い提灯の灯り
風に揺れる、歓迎の文句が書かれた赤い垂れ幕
人々のざわめきや笑い声に、あちこちで酒器がカチャンと触れ合わさる音
色ガラスのはまった窓辺には、舞を踊る人の影が映り、二胡の音色が聞こえてくる
その中を僕らの乗った小舟は、少女の歌声と共に進むのだった