この街には、無数に細い運河が巡っているので、移動するなら車より、舟を使った方が良いですよ」と助手が勧めるので、僕は街の入り口で、タクシーではなく、渡し舟を拾った。
渡し舟は、舳先に僕、後ろに助手が座り、その後ろに荷物を置いて、船尾に船頭が立つと、もう一杯になるほど小さかった。
船頭は、15、6歳くらいの少女。そのほっそりとした姿に、大の男を二人も乗せた舟を操れるのだろうか?と少し心配になる。
だが目的地を言うと、彼女は「北下川2街区の遊雲楼ネ。マカセテ!」と事も無げに返事をして、慣れた様子で櫂を操り始めたのだった。
舟は時折右に左に進路を変えながら、すいすいと網目のような運河を迷いなく進んでいく。
「地図も見ずに、よくわかるもんだ」と呟いたら、助手が「なに、この街に生まれた者は、赤ん坊の頃から舟に乗ってますからね、すっかり頭に入ってるんですよ」と言った。
「それはそれですごいもんだ」僕はすっかり感心した。
運河の両側には、木造の古い家々が軒をつらね、そのどれもが、洒落た欄干つきのテラスを水面に向かって突き出している。そこには椅子や机が並べられ、お客が来るのを待っていた。
珍しい水の街の様子に見とれていると、ふいに背後から玉を転がすような、少女の可憐な歌声が聞こえてきた。言葉はわからないが、この風景に溶ける美しい歌だった。
ゆっくりと日が沈んでいく。
涼やかな風が吹いてきて、川面に垂れた緑の柳の枝を揺らすと、ぽつりぽつりと窓に明かりが灯りだした。
と見る間に周囲一面に光が広がった。
家々の軒先や、川にかかる橋の欄干、街路樹と街路樹の間など、いたる所に吊るされた赤い提灯に、一斉に明かりが入ったのだ。
眠っていた街が、鮮やかな光の衣を纏って、目を覚ますと、人々の活気が増した。
川面に映る、無数の提灯の灯り。
ひらひらと風に舞う垂れ幕。
話し声に時折上がる笑い声。
そして乾杯!と盃と盃が触れ合う音。
色ガラスのはまった窓辺には、踊り子の影が舞い、二胡の音色が流れる。
そのただ中を、僕らの小舟は、ゆらゆら進むのだった。
